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ものぐさにっき。

成分の99%は萌えで出来ております。
鉢雷
はちらいについて本気出して考えてみた。

いえ、にんたまは鉢雷の人なんですけどタカヤマさん。
むしろ、個人といわずともにんたまの鉄板(原作)がはちらいだと信じてる。じゃなければ14歳の男の子がずっと相手の変装してる理由を学会で発表して欲しい。どこの学会。
で、はちらいなわけですが、一口にはちらいと言っても様々なパターンが考えられます。
一番幸せなのがおおらかというかむしろ大雑把過ぎる雷蔵の許容によって成り立つ鉢雷かと思われますが、けれどおおらかというかむしろ大雑把で考えていると悩み癖が出てくるとか言いながら、その実最後まで悩むことなくどちらかというと悩み悩んで面倒くさくなってもう最後はどうでもいいやってなっちゃうのが雷蔵のような気もします。問題を棚上げしたまま忘れ去りそう。
そんな「どうでもいいや」「考えることが面倒くさくなった」で受け入れられる三郎、という定義で展開されるはちらいが果たして幸せなのでしょうか?
否、そこには確実に温度差とすれ違いが発生するのだと思います。(でそのすれ違いが卒業を前にして白日の下となり、結局はちらいは幸せどころか泥沼的エンディングを迎えるのかと)
あと、雷蔵ってすごくおおらかというか大雑把というか、割りと拘らないように見えて、確たる一線を持ってる人だとも思います。
例えば夕食のおかずをはっちに取られたとかそんなことは別に食べ終わったときには忘れてるくらいだし、三郎が自分の顔を借りて悪戯をするのも、その場その場では躾けとして怒りそうですが一ヵ月後には忘れてると思います。
けれど、そんな雷蔵にも許せない一線が絶対に存在すると思う。さらには、他人からはその一線がどこに引いてあるのか、とても難しい場所に引いてあると思う。(考え方自体が難しいのじゃなくて、「どうしてそれは許せるのに、これが許せないのか」と他人が首を傾げるような自己を持ってそう)
それが原因で例えば雷蔵と三郎が喧嘩したとき、三郎が雷蔵に謝れば結局雷蔵は三郎を許してやるのだけれど、それは真の意味で許したわけではなく、「謝ったから怒るのを許してやろう」ということだけで、三郎が触れてはいけない逆鱗に触れたことに関しては「許してない」と思うのです。
なので三郎がすっかりさっぱりそんな喧嘩したことさえ忘れて、いざ卒業を前にして、双忍としてこれからも私たち一緒に忍者として頑張ってゆこうね、とるんるんと雷蔵にプロポーズしたところで、雷蔵はきょとんとした顔をして「嫌だよ?」とか、なんでお前そんなこと言えるの?的にあっさりと拒否りそうガタブル
三郎はそのとき初めて雷蔵がずっとずっと三郎のことを許してなんていなかったことに気付くのですよ…!あの時許してくれたのは謝ったからで、根本的にはずっともう見捨てられたままだったってことにね…!
ぎゃあ…!怖い、怖い怖い雷蔵怖い!
そう、怖くて残酷なのは何より雷蔵のほうなんですよ…!

なんてことを風呂入りながら考えてたら、うっかり三郎の不憫さに泣けてきた。
三郎はなんていうかすごく一途に雷蔵のことを愛してると思うんだけれど、その表現方法もまた紙一重な感じで他から見たら「どうしてあそこまで雷蔵が仏の心を持って三郎の相手をしてやっているのかが判らない」とか言われちゃうんだ…。紙一重な三郎の愛情表現…。紙一重な雷蔵の逆鱗…。
もちろんすごく優秀な忍者として誰にも素顔を見せずに消えてゆく三郎もいいと思うのですが、46巻みたいに雷蔵がやられたことに取り乱して我を失っちゃうのが三郎だと思うから、そんな不完全な人間であることを、三郎は雷蔵に教えられればいいんだよ、と思わずにはいられません。
完璧だと思っていた自分が不完全で駄目な人間であることを教えられた相手が雷蔵であるからこそ、三郎は雷蔵を好きなんだろうな、と思います。
因みにそこにはやっぱり他に雷蔵が雷蔵であるからという要素も加わっているので、他のひとが三郎の矜持を傷つけた場合、三郎はこの世の終わりくらい相手のことを嫌うか、いっそ虫けらのように抹殺しちゃうんだと思う。
三郎も雷蔵のいないところでは大概人の心が欠損してる。
そういう意味ではあんな雷蔵でも三郎の良心ってことなんですね。
あんな雷蔵いうな。(我に返った)
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