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ものぐさにっき。

成分の99%は萌えで出来ております。
古ーション・ラブ
最後の二行でまったく違う物語になる」というあおり文句がついた小説を読んでみましたー。ちょ、超今更ですが…なにやら定期的に送られてくる密林お勧めピックアップのレビューで賛美されていたのでついつい。
イニシエーションといわれると、古ーションと当て字したくなるのは、それこそ古ーションだろうか…。

読んでみて納得。
確かにラストたった二行でまったく違った物語になる小説でした!あおり文句から色々想像してたけど、まさかこんなトリックが隠されているとは思いもしなかった。(途中で読みながらまさか…とは思ったけど、その「まさか」さえ越えてました)
以下、ネタバレ(本当にネタバレ)感想です。ネタバレOKな人も推理小説なんかはあらすじを知ってから読みたい、という人も、もしこの本を今後読むつもりがあるようなら、ネタバレは見ないほうがいいことを、猛烈にお勧めしますよ!回避してね!
表の(あえてこの表現)物語はとても普通の恋愛小説。二部構成になってます。
主人公の大学四年生・鈴木が合コンで紹介された二歳年下の「マユ」に恋に落ちて片思いして両想いになって付き合い始めて初エッチして…という、非常にスタンダードな今の10代の子が読むには刺激が足りないんじゃないかと思われそうな携帯小説くらい読みやすい内容が前半。
後半である第二部は、「マユ」のために就職先を変えて地元採用に拘った主人公の鈴木が、でも東京転勤を命じられて遠距離恋愛になり、初めは愛の力で頑張るも日々のあれこれに段々と恋愛を続けるのが難しくなってつい出来心で浮気したり、マユが妊娠して堕胎したり、なんだかんだともめたのち、最後は別れてしまう、というお話。

前半でもうこの二人は結婚するんだろうなーというくらいラブラブで盲目に愛し合ってた二人も、月日が経つとやっぱり初めの勢いだけじゃ続かなくなるのね、倦怠期と遠距離を克服するにはちょっとばかり若すぎたよね、という、これまた非常にありふれた感想を抱くようなお話なのですが、それが本当に最後の二行で一転します。
一回目読み終わったときは作者の仕掛けた罠に全然気付かなかった。鈍いにもほどがある。
あれ?これって結局どういうこと?って首を傾げて、どっかのネタバレでも読もうかと思ってたけど、10秒ほど沈黙して考えてみたら、「ああっ!そういうことか!」とピカーンと天啓が降りて、あとがき代わりの用語解説(時代がバブル期のお話なのでその当時の背景が解説されている)さえもが強烈なネタバレになっているという、心憎い演出に久々に本を読んで感心してしまいました。

第一部でこの二人の可愛らしい初恋同士のような初々しい恋愛を微笑ましく見守っていた人たちは、遠距離の障害に負けそうになる二人を心の中で応援しながら読み続け、鈴木が浮気をしてそれがばれたときも、堕胎して一旦別れたときも、「最後でちゃんともう一度よりを戻すのを期待してる」と心のどこかで思いながら読み進めていたかと思われますが、結局鈴木とマユは別れたまま物語はしょっぱい感じに終幕し、初恋は実らない、じゃないけれど、まあ結局世の中にはこんなことがありふれてるのが実際だよね、なんて物語だったのかな、と思えないこともない。
それが、「表」の物語。

最後二行のトリックがなければそう思って特に記憶にも残らない小説として(だって内容はぶっちゃけたいしたことない)忘れていってしまいそうですが、その最後の二行でこれが「裏」のある物語だったのだよ、というトリックが仕掛けられたいたことが明らかになります。明らかになるっていうか、実のところ最後の二行で作者から「この謎が解ける?」と読者に対して挑戦状が叩きつけられている感じ!
気付かなければ、そして気にしなければ「ただの恋愛小説」としてこの作品をそのまま読み終えてもいいよ、という面差しでいながらも、この二行があるがゆえに、この小説が恋愛小説から推理小説へと変化するのです。
ネタバレ感想なので実際に書いてみるけれど、

浮気相手が主人公・鈴木に向かって、
「○○(主人公の下の名前)?」

と呼びかけるシーン。たったそれだけ。その二行。それでエンド。
で、なんでそんなシーンですべてが変わるかというと、この下の名前というのが重要で、冒頭の合コンで出てきた主人公・鈴木の名前と違う名前が呼ばれるんです。(最後の二行で物語が変わる!というキャッチコピーがなければ、ただの誤植で流してしまいそうでさえある)
これずっと主人公の鈴木視点で物語が語られて、更には恋人のマユも彼のことを愛称でばかり呼んでいたから、本編の中に主人公のフルネームは二回しか出てきません。
それが一度目の自己紹介と、最後の呼びかけの台詞の中の名前。
たった二回しか出てこないので、読んでて覚えてない人は何も感じず読み流してしまいそうですが、これこそがこの物語を紐解く鍵になっています。

普通、登場人物の名前が変わったら混乱しますよね。
あれ?鈴木××君だよね。鈴木△△君じゃないよね、という疑問を読者が抱いたのち、このただの恋愛小説と思わせた物語が真の表情を浮かび上がらせるのです。
最後の二行を読んだのち、ワタシが順当に考えるのが「まさか、鈴木君たら偽名を名乗ってたの?結婚詐欺師みたいに。え、今の浮気相手が資産家とか?」というのと、「ひょっとして第一部と第二部はすごく環境が似た、全然違う二人のお話だったんじゃないだろうか」というトンデモ設定。まあ、普通両方ありえないけれど、普通ありえないことが(名前が違う)起きてますからね。
いやしかし、もし第一部と第二部で違う鈴木君だとしても、ヒロインの名前まで同じっていう偶然はないだろう。鈴木という姓はありふれてるかもしれないけどさあ…と考え始めたところで、この考えが謎解きの鍵となります。

「ヒロインが一緒」

そう、それが鍵であり、答えでもありました。
つまり、このお話は第一部と第二部の二部構成ですべて主人公「鈴木」の視点で語られていますが、第一部と第二部では違う「鈴木」君が一人のヒロインと付き合って恋愛している話なんです。
大学時代の第一部と社会人遠距離の第二部で、わずかながらに主人公の鈴木に感じる「違和感」が、「どんなに真面目な男も付き合って年月が経てば、こんなふうに面代わりもするのね」というのを、転勤したばかりの新人社員が職場の荒波に揉まれて、という環境背景を作ることで、読者に受け入れやすくなっている(注:騙しやすく)ともいえて、うわあ、計算されて書かれているなあ、と感じます。
しかも、ついつい時代背景とかバブル期(1970年代くらい?)なんて詳しくないものだから読んだ順番に時期列を誤ってしまいがちですが(それも仕掛けられたトリックの一つ)、第一部で付き合い始め→第二部で破局、の流れじゃなくて、第二部と第一部は実は同じ時期列で話が動いていて、ええ、つまりは鈴木が大人しくて順応で可愛らしくて理想の彼女、という視点で見ていた恋人のマユは同時期に「鈴木」という苗字の男と二股で付き合ってた、というのが物語の真相なのでした。
うおおお。マユ…!そんな女だったのか…!
と思いながら読み返してみれば、確かにこの物語はまったく違った様相をみせる物語として、読者に再読させるだけの力のある小説といわざるを得ません。

ワタシも実際読み返してみて、合コンの自己紹介のときに女友達が「マユはちょっとというか、かなり変わってるから」と一言言うんだけど、そういうのって割りとありふれた紹介じゃないですか。だからついつい聞き流してしまいがちなんですが、確かにそ知らぬ顔をして二股演じられるんだから、実状を知ってる親しい友達から見たら「変わってる」と称されても仕方ないよね…。
しかも、これも後から読めば策士だなあと思うけれど、二人が付き合い始めたのちも、マユはなんだかんだ理由をつけて、合コンのときのメンバーには自分たちが付き合ってることを隠しておこうね、なんてもっともらしい理由で合意を得てるし。(だって友達は流石に二股に気付くだろうしね)
マユの策士度がどんどん深まってゆくのは、両方の鈴木ともに、マユに対してバージンで自分とのことが初エッチだったと思い込んでるということにも表れています。これ主人公視点だから要するにマユがそう演じてたってことで、実際に大学生鈴木の方が確実に違うことを考えれば、ひとり目の社会人鈴木のほうもどうだか怪しい。
更に作中、二度目だからわかる戦慄の台詞がヒロインの口から語られていました。
ヒロインは実は名前の違う二人の鈴木に対して、同じニックネームをつけるという狡猾な真似をしているんです。賢い。だから第一部と第二部で違う鈴木である、だなんてトリックに気付かなかったし(小説でしか使えない手法)仇名を同じにしておけば、呼び間違えても何かあったときにもフォローが利くもんね。
で、大学生鈴木と付き合い始めたときに、
「マユがこうするのは、一度目も二度目も三度目も、一生ずーっと○○(ニックネーム)とだけ」
と彼女は言ったりなんかしてました。
一度目読んだときは、ああ、初めての恋愛に対して「永遠」を夢見てる若い女の子の可愛い言い分だな、と(主人公鈴木視点で)感じるのですが、二度目に謎解きの答え合せがてら読んでいると、
「いや、要するに社会人鈴木と大学生鈴木以外に付き合うとしても、またなんだかんだとニックネームをつけてその名前で呼ぶからねって意味、もしくはひょっとしたらすでに三人目がいるよって影で嘲笑ってるとかか…!」
と、齢二十歳そこそこにして、女は魔物だよな…!と心から、このヒロインに対しての見方が180度変わります。
だってさ、遠距離の彼とは土日だけ、大学生とも仕事とバイトの合間ということで金曜日の夜だけ、そうあからさまに区切って会ってるんだよ、この子。他の曜日で何してるかわかったもんじゃない…。
一度、第二部の社会人鈴木が別れた後に酔っ払って間違って彼女のところに電話をかけて、すぐに気付いて無言電話になっちゃったのに、彼女が全然気にしてない様子で「もしもし、○○(ニックネーム)?」とか呼びかけるから、ひょっとしたら彼女の中では別れがショックすぎてなかったことになってるのだろうか、今も地元のアパートで俺が来るのを待ってるんじゃ…なんて、憐れな女だ、と表するシーンがあるんだけど、いや鈴木、おめでたいな。その時彼女が勘違いしたのは二股相手の大学生鈴木のことで、お前のことなんてもう完全に過去扱いされてたというのに…。
社会人鈴木はついに長年付き合った彼女の本性に気付くことなく、「都会に出て洗練された俺。田舎の彼女はきっと俺を生涯忘れられずに生きてゆくんだろうな…」なんて懐古しつつしんみりと終わるわけです。恋人の本性に気付いてしまった読者側としたら、この社会人鈴木こそ憐れな道化者だけど、でもふと考えると、これこそが人間関係の落とし穴なんじゃないかと考えざるを得ません。

この物語のように、誰もが人生において自分が主人公、自分視点でしか世の中を捉えることが出来ないのだから、当然、今目の前にいる恋人、友人、家族がどんな視点とどんな裏を持って生きているかなんて、すべて把握するのは現実問題不可能です。事の本質を捉えたつもりになっていても、それすらも主観でしかないという絶対的な事実と、人は永遠に葛藤と妥協を繰り返しながら生きてゆくものなのですから。
ものすっごい小悪魔のようなヒロインに誑かされた二人の男たちは、彼女の本性を知らなかったゆえにすごく幸せでまっとうな恋愛をしていた(事実、一度目はそういう読後感想を抱く小説に思えた)けれど、これが裏に隠されたヒロイン視点に脳内で置き換えられたとき初めて事実が明かされる。(読者側に)
言い換えれば、鈴木たちはずっと気付くことなく、この後もマユというヒロインの仮面に踊らされて生きてゆく(いった)という事実が、ものすごく現実的というか、現実世界も実はそんなものだよな、と重ねずにはいられません。
やたらめったら人を疑いたくなるような、というとそれは全然違うのですが、まあ捉え方一つでこうも一つの事実(「恋に落ちて別れるまで」)が多面性を持っているのだな、と再確認することが出来る、というか。
もし真面目に一対一で付き合っている二人の物語だとしても、両方からの視点で描いても違う印象を受ける話になるかもしれないということを思い出させてくれるような。

この謎解きが完了して読み返すと、「うおお!マユ、悪女ー!」と転がって笑いたくなるような小説でした。
あと、少し惜しいなと思ったのが(内容じゃなくて自分が)、この物語の中で当時流行したテレビドラマ「男女七人夏物語」がマユの好きなドラマとして名前が出てくるのですが(この続編、秋物語の話題が出たからこそ、第一部と第二部で時期列がおかしいことに気付かされる)、解説でも出てきたとおり、このドラマ、「第一部で付き合い始めたはずの二人、第二部では実はヒロインが遠距離中に二股してたことが判明する、という衝撃のスタート」なんですって。
ええ、そう、つまり、用語解説の中にもこの小説の強烈なネタバレが隠されていたわけです。笑!
でも流石にリアルタイム世代じゃないので、ドラマタイトル目にしても全然結びつかなかった。残念!その世代の人たちなら、この小説はもっと謎解きしやすく、なおかつ時代背景なんかが懐かしく感じられるものだったのかなー。

萌え要素以外を抱いて読む小説って、わりと待ち時間の暇つぶし代わりに持ち歩いたりして読んでいるのですが、読んでる間はとくに何も感じなかったけれど、この小説は最後の二行からが面白い!と断言してもいいと思う。
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