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ものぐさにっき。

成分の99%は萌えで出来ております。
街道一の大親分!
三連休初日ですね!春コミの前にちょっくら遊びに行こうかなーと思っていた今日、うっかり高速乗ったら行楽渋滞という名の苦行を強いられるハメに。
ちょ、超忘れてたよ行楽渋滞なんて言葉さえ…!高速道路1000円割引の罠。GWの恐怖再び。もうほんと、大型連休とか割引廃止すればいい。そして渋滞緩和になればいい…と呪いの言葉を吐きつつも、本日の目的地の静岡県の清水へ。
他県人のわたくしめ、全然存じ上げていなかったのですが、清水市って今ないんですね!知らない間に静岡市と市町村合併していたようで、今は静岡市清水区となっておりました。おおう。広い…区だな…。
で、清水の何が目的かというと、はいこちら、

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次郎長ツアーでーす!
(はいこちらと言われてもまずピンとこない外観)
清水ICから車で少々、清水駅を通り過ぎて暫く走らせると、大通りの突き当たりにでんと構えているのがこの末廣という名前の建物です。
こちらは次郎長が晩年(亡くなるまで)英語教室などを開いて暮らしたおうち。実は移築した建物ですが、資料館として無料で解放されています。
そもそも次郎長って何ぞや?と仰る方もおられるでしょうか…。
一言で言えば喧嘩屋、任侠一家の大親分なのですが、歴史的にそれだけの人ではなかったことは、まあWiki辺りを見ていただければ(笑)。
清水次郎長という通り名で親しまれていますが、本名は山本さんちの長五郎さんと仰います。次郎八さんの息子(養子ですが)ということで、周囲から「次郎八のところの長五郎」、略して次郎長と呼ばれるようになったのが、そのまま彼の通り名として定着し、「清水港の任侠一家の大親分、次郎長」として後世に名が残ったようですね。
幕末から明治維新の時代を生きた人なので、近代日本史の分野なのかもしれませんが、実のところ、地元静岡でさえ教科書にはこの人の名前は載っておらず、現代の子供たちは地元の偉人(という呼び方も賛美両論)を知らないままに成長してる子も少なくないそう。
こうして歴史遺産として残すことも、以前はひと悶着あった…というのは、彼の職業が一般人からは歓迎されざることに起因しているようですが、次郎長がただの暴力屋さんじゃなくて「港のおじいちゃん」として愛されていたという事実から、教科書には載る事はなくても、地元の子供たちは大体小学四年生くらいから彼の歴史を勉強するそうです。
因みにこちらの末廣では月に一回、講談を開催して次郎長の菩提寺の住職さんのこぼれ話が聞けるそうなので、観光なさる方は確認して訪れるのもいいかもしれません!
ワタシが訪れたこの連休初日もちょうどその日で、地元のご老人たちがお話を窺いにいらっしゃってました。こちらでは館員の方がとても丁寧に、そしてご親切に次郎長のことを教えてくださるので、名前くらいしか知らないわ、という方でもきっと親しみがもてると思います。

さて、末廣で資料をあれこれ見させていただいた後は、こちらの館員さんの案内に従って、一本離れたところにある「次郎長商店街」へと。

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可愛いマーク!

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ここには次郎長の生家(米屋さんだっけ?)が残っています。商店街のど真ん中で通りも狭く駐車場もないので歩きでしか行けませんが、簡単な次郎長の生涯の紹介とか写真資料とかも展示してあるので、生家→末廣の順番でもわかりやすくていいかも!
かくいうワタシの一番のときめきはこちら、

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写真…!
次郎長の写真とか見たことあるけど、お、大政小政も揃って、更には清水一家の名だたる人たちが勢ぞろいしてる…よ…!ぎゃー!大政、知ってたけど森の熊さんみたいで可愛いー!!!(ごろんごろんごろん)

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そして番付名札…!
きゅんとする…!超きゅんとする…!誰かこれが本当に当時から残ってたものだって言って…!(それが生家にある由来がわからないよタカヤマさん)(いいじゃない、夢見たっていいじゃない)清水港の次郎長一家の邸も現存して資料館とかになってればよかったのにー!(悶え転がったことでしょう)
でも、この生家にその分資料が集中していて、次郎長が使った煙管とか羽織りとかも残ってて…!て…!も、悶える…!

因みに壁一面に展示された思い出深い各地の資料を見て、あ、ワタシ今年はココ全部回りたい、とか密かに思ったのは内緒です。でも都田一家のあれとか石松のこれとかさ…!行くべき場所が目白押しですよ…!想像の翼が羽ばたくよ!だって多分行ったことあるのって荒神山の戦いの、吉良の仁吉たちと乗り込んだ神社くらいだもんなあ。

聞いた話によると、次郎長の一の子分(のちに養子になってます)の大政や三代目おちょう(奥さんです)が三河の出身で、次郎長自身も恩義ある人が多かったとの理由で、次郎長は生涯愛知県の三河地方に足を向けて寝なかったし、子分衆にもそれを徹底させていたそうで。
任侠活劇とか見てると、次郎長は893だったけど義理堅く一般人にけして迷惑をかけない昔かたぎの大親分だったっていう性格付けは有名ですよね。子分にもしっかりとした教育を行き渡らせていて、堅気に手を出すこともご法度と厳しく、けれど不手際を働いた子分のやったことも全部自分が責任を負ったとかとか。
ちょ、どっかの白ひげの海賊団を髣髴とさせるんですけどねえこれこのタイミングでなんの罠。(うっかり涙目)

愛してるぜ清水一家…!

萌えでどうにかなってしまいそうな体をよろよろと抱え、お次は商店街から末廣とは逆の大通りに向かって歩くと辿り着く梅蔭禅寺というお寺さんです。次郎長一家のお墓があるお寺です。(末廣→生家→お寺、でけして歩けない距離じゃないので、お寺の広い駐車場に車を置いてお散歩がてらうろうろするのもいいかもしれません)(タカヤマさん逆コース行ったけどね)(ええ)
一般のお墓区画とは別に、お寺の中に安置されているのがこちら、

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一家のお墓です。
清水一家全員とはいかなくても、奥の墓石もそれぞれ関係者なのかな?名前がよく読めなかった。
とりあえず説明文が書いて紹介してあったのが、ど真ん中の次郎長の一番大きなお墓、それから脇を占めるのが子分衆でも有名どころの、大政、小政、仙右衛門、石松のお墓です。石松のは供養塔なのかな?遠州にある石松のお墓があるお寺では、勝負に強くなるというご利益を求めて、墓石を削って持ってっちゃう人が後を断たないそうです。次郎長に心酔してた石松は、そういう礼儀のなさは怒りそうでご利益をもたらしてくれるかは疑問だけど(笑)。

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お寺の中にある次郎長の銅像~。
明治の人で写真も残っているので、人物像もはっきりしっかり統一されていますね。この銅像の前で記念撮影が出来て、憧れの大親分とのツーショットも夢ではありません。(夢にしときなよタカヤマさん)

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また、ここで頂いた御朱印がダイナミックで、あとちゃんと次郎長の名前も入ってて予想外に素敵で感動しました!
真田神社の六文銭の御朱印のときもそうだったけど、こういったのもミーハーなファンには嬉しいサービスです。やっぱり地元の人に愛されてる、次郎長。
次郎長ツアーと銘打ちつつも、主だった観光地は清水ではこの三箇所くらいかな。壮士の墓とか関連した土地は色々とありますが、とりあえずこの三箇所で胸が一杯になりました。

あと、清水ICで降りたということで行きたかった近隣観光地が、河岸の市と梶原山公園!(松原とか久能山とかは前にも行ったので、どうせなら違う場所ということで)
河岸の市はもうあれ、穴子です(笑)。清水港の市場なんだから海鮮丼食べておけよ!という周囲の突っ込みもなんのその。食べたいものを食べたいときに食べるタカヤマクオリティ。(そんな大層な話ではない)

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河岸の市で出会った穴子丼がこちらーv
このおっきな穴子が有名なお店のようです。行列必至ですが、実はこのお店、河岸の市のお隣に定食のみの二号店を開店なさったので、買物ではなくご飯を食べに…というだけの方は混みあっている河岸の市に入らずとも、二号店でお食事なさってもいいかもしれません。ちゃんと駐車場もありますし、市場より広そうです。でも市場の方でもワタシおひとり様だったのに、込み合ってる昼の時間帯にも相席させられず、とても親切なサービスしていただけて接客も満足でしたが…。
肝心の内容は穴子二匹とお野菜。お野菜は時期によって違うかもしれませんが、この日は草履のようなサツマイモとこれまた巨大なレンコンと、大葉かと思ったら明日葉でした~。わー!今レンコン美味しいから大好きー!というか、乗っかってるの全部美味しかった!穴子はやっぱり江戸前とは違う、弾力の残った穴子でした。ウマー。
ネットの口コミで「ここの丼は美味しいけれど、ご飯の量が少ない!」とよく言われてましたが、いや、ちょ、少なくないから…。(凄く冷静な目で)
海鮮丼は男の人だと上に乗ってるものに対してお米の対比が物足りないと感じるのかな、もしかして。少なくとも穴子丼に関しては、相変わらずのいっぱいいっぱい具合で、ワタシもう天麩羅盛り合わせだけ食べてればいいんじゃなかろうか…と思わないでもなかったり。
因みについてくる味噌汁は海鮮汁ではなく豚汁でした。斬新(笑)!

で、河岸の市を終えたらもう一つの目的地、梶原山公園。
そう、梶原景時さん、終焉の地です。
ここさ…名前も住所もヤホー地図でもナビでも出てこなくてさ…。紹介HPに緯度と経度が書いてあるんだけど、そうか、それしかナビ設定して地図検索する手段がないからか…と初めて納得しました…。
景たま、壮絶な土地でお亡くなりになられましたのね…!
ともかく自力で辿り着けなさそうなのでナビに従って走ることしばし。近づいてくると、地図に「梶原堂」という表示が出てきます。梶原堂?梶原ってついてるからには景時さんの関係地なんだろうな!と思って寄り道してみたらば、うっかり見過ごしそうな民家のど真ん中に、ありましたありました。梶原堂。ていうか、景時さんのお墓発見。ウオオ!まさかのお墓…!

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案内の石柱は民家の玄関先に建ってます。ワタシ本気でこの民家の庭に…?!とか思っちゃった。誤解するひと絶対にいるって!
車で通ってると多分見過ごします。ワタシもこの辺何周もうろうろして、しまいには徒歩探索に入って、ちょ、どんだけ後ろ向きなんだ勘弁してくれ景時さん、と泣きを入れそうになったことか。

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梶原堂、この逆光のコントラストが映える中(いいふうに言ってみた)(だから写真の撮り方気をつけろと毎回言ってんだろうお前!)慰霊のお堂が建っていますが、現在は寂れた公園…のような…いや、ワタシが乗ったらきっと音を立てて半壊するよねこのブランコ、みたいな寂れた情緒ある趣でね…ええ…

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「老人憩いの家」
ここ笑うところ?景時さん。

なむなむと手を合わせて、再び車の人になります。目的地に向かっても緯度経度でも実は麓近辺までしかいけないので、あとはひたすら目の前の山に向かって走ってください(笑)。何度か分かれ道に遭遇しますが、小さく「梶原山公園」と案内があるので、見過ごさなければそれで辿り着けるハズ。
夜景の綺麗な観光スポットとして紹介されていたはずなのに…あれ…?なんだろうね、この誰にも出会わなさ具合。その上、ガードレールもカーブミラーもない峠道。うっかり死と隣り合わせなんですけどどんだけ寂しいんだ景時さああああん!
びくびくしながら山頂に辿り着けば、三連休初日で曲がりなりにも観光地にも関わらず、オンリーワン劇場。あ、お気使い頂きまして…(誰に対して低姿勢)。
駐車場からは舗装された山道をテクテク登ります。てうか、ちょ、もうお前(おまえ呼ばわり)、さっき梶原堂探して歩き回ったから靴擦れしてんだよ勘弁してくれよ、と景時さんに呪いの言葉を吐きつつ(だって公園ていってたからさ!まさかヒールでこんなに歩き回らされるとは)…ぜいぜい。

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山頂に到着。ここはに景時さんの最期の土地として、慰霊碑が建っています。景時さんはこの山で馬を後ろ向きにして逃げたのか…。
一瞬だけちょっと感慨深くならないこともないけれど、本当なら駿河湾と富士山が一望できる景勝地のはずなのに、登ってみたらまさかの曇天。山の上はまだ寒いせいか、桜も蕾が綻び始めたくらいです。
地元のおじいちゃんがお散歩でいらしたのですが、二人して思わず景時はつくづく残念な男だと愚痴りあって親交を深めました。(あれ?)(景時さんへの愛が歪んでる一例)(歪みすぎて何故か正しくなってる悪例

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因みに山頂ではまだ蕾でしたが、麓はもう開花してました。桜の季節が来ますねー。

まあこれにて清水を堪能!美味しいもの食べて萌えて、と楽しい時間を過ごしたしいざ帰ろう、と思ったのですが、ほらあれこれね…東名がどかんと行楽渋滞してましてね…。
今から帰ってもどうせ翌朝春コミで東京じゃん、と思ったら帰るのが面倒くさくなったので、そのまま静岡で一泊してゆくことにしました。高速降りるのもホテル探すのも面倒だったので、初めて足柄SAのレストインに泊まったよ!
ビジネスホテルくらいの感じですが、足柄温泉に無料で入れるのでこれはこれでのんびり出来ていいかな?
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