FC2ブログ

ものぐさにっき。

成分の99%は萌えで出来ております。
冷たい海に沈むくじら
辻村作品三冊目!いちおうここまでがミッコにお勧めかなぁと言われたので、三冊目は「凍りのくじら」を読みました。
一冊目に選んだスロウハイツに出てきた写真家さんの、高校時代のお話ですね。
ほんと、必ずしもメインじゃないし名前も出てこないことも多々あるけれど、この作者さんの登場人物は少しずつ繋がってるんだなぁ。

そんでは、以下ネタバレ感想でーす。
今回は裏表紙のあらすじから読んだよ(笑)!
「母の看病をしながら暮らす女子高生が一人の青年と出会って…」というあらすじだけ読むと、家族の絆の再生と高校生の恋の物語なのかな、と思ってしまいますが、これまたファンタジーというかあえていうならSF(スコシ・フシギ)要素の入った物語でした。
新進気鋭の写真家だった父を病気で亡くした主人公は、今、母をも癌で失いそうになっています。余命幾許もない母の看病と、それなりの進学校だけれどどこかリアルから遠く上辺づきあいだけで過ぎてゆく学生生活。
そんなある日、主人公は高校の新聞部の先輩から写真のモデルになってくれないかと頼まれます。モデルになるか否かはともかく、その先輩と話してゆくうちにどこか心惹かれてゆく主人公。この恋とも違った不思議な安心感はなんなのだろう。
一方、母の容態が悪化してゆく中、 自分の浅はかな人間関係が原因でやっかいな男に付きまとわれることになり、それが次第に彼女の周りをも巻き込んだ事件へと発展してゆくのですが…、と。

主人公の女の子は家庭環境の影響で、というよりも多分性格も大いに影響しているのでしょうが、どこか冷めた女の子で、自分がひとより賢い、自分が鈍感なひとより何でも察せれる、自分が同年代のクラスメイトより世間もひとの心の闇もあれこれ知っている、と勘違いしている、その年代の子にありがちな頭でっかち、知識ばかりで経験が不足しているという典型的なパターンの高校生でした。
それはそののち本文でも触れられるのですが、その子は子供の頃から読書が好きで漫画も小説も色んな本を読みまくり、もはや読書が生活の一部となってしまっていることが大いに影響していたようです。ラノベとか一般文学とか何でもいいけれど、多感な年頃はそういったものから凄く影響を受けると、それは無論悪いことでもなんでもないのですが、それで得た知識や考え方を「=自分の知識、経験」と摩り替えてしまいがちですよね。
この本の主人公もそうやって自分は色んなことを知っていると思って周囲の人間を、明確に見下しているわけではないけれど、やっぱりどこか見下している子だったのですが、少女漫画を読んでヒロインの子になれるわけではないように、現実の人間関係では未熟なままだったのです。
ワタシは子供の頃から色んな本を読むことは、内容を理解する読解力や知識を得ること以上に、漢字を覚えるという意味で有意義なことだなぁと思っていましたが、こうして「読んだことを自分の経験と勘違いしてしまう」恐れもやっぱり未熟な年頃だけに多いわけで、それを差し引きすると読書もやはりひとによっては毒になったり薬になったり、それぞれですね。

と、関係ない話はさておき、これが恋愛物じゃなくてSF(しつこいようですが、スコシ・フシギ)なのは、主人公が出会った新聞部の先輩、というのが、実は数年前に病気で亡くなった(正確には病気が発覚して失踪した)自分の父親の高校生時代だった、というオチがあるところです。
これは割合早い段階で薄ぼんやりと浮かんでくる可能性なのでたいしたネタバレでもないのですが(お父さんの名前に関する記述が多分第一ヒント)、病院と学校という場所を介して二人の邂逅があるものだから、ワタシは初めお父さんのほうはお父さんの高校時代を相手が自分の未来の娘との自覚もナシに生きてて、それが主人公の「今」とそれぞれ時間軸が「たまたま」重なった不思議が起きてるのかとも思ったのですが、それでも最後、森の中に主人公を助けにきたくだりを読むに、お父さんの方は自分の娘だと知って接していたのかな…?とか?そうなると病院での話しとかちょっとおかしい?と首を傾げて混乱してしまいました(笑)。
じゃあキーマンとなる父の友人の母子家庭にいたのは「生前の父」ということで、少年と「約束」を交わしていったのも、じゃあ死ぬ前のお父さんてこと?年齢計算合うのかそれ、とか余計なことばかりが頭を過ぎるけれど、まあとりあえず(魔法の言葉)、死んだはずの父の若い頃の時間軸と重なって、彼が人知れず(主人公以外には見えていなかった)主人公を見守っていてくれたよ、というお話でいいのかな。…と、一人ごとみたいな感想ですみません(笑)。

お母さんのお葬式のときに主人公は自分の愚かさというか周囲に対する偏見というか、現実は小説よりも馬鹿にしたもんじゃないよ、ということに漸く気付くのだけれど、そういった意味では成長物語といえるのでしょう。家族を失った少女はしかし、病院と父の幻を通じて知りあった「父の友人の母子家庭」で新しい家族を手に入れます。
成長したそこの少年とは年齢こそ離れているけれど、弟というより将来的に恋人として落ち着いてもいいな!と思う。高校生と小学生だと年の差も大きく見えるけれど、社会人になっちゃえばたいした差じゃないさ。
主人公はもう二度と大切なものを間違えたり失ったりはしないでしょう、というよりは、また間違えることもあるかもしれないけれど、今彼女を取り巻く環境は彼女が自分の力で手に入れたものだから、きっと失うものがあってまた間違えることがあっても、昔より心がちゃんと成長していればそれも乗り越えてゆけるさ、と信じることのできる、前向きなお話でした。

メジャースプーンでうさぎを殺した大学生とかもそうだったけれど、この小説の主人公も毎日をただなんとなく生きてるだけの「ゆとり教育世代の現代の子供」といった感じで、その年代を越した年上の人たちからみれば「何を考えているか判らない最近の若い子」という括りで纏めてしまえるかもしれませんが、それでも何を考えているか判らないんじゃなくて、痛みも悲しみもちゃんとそれをリアルに受け止めるその尺度は人それぞれなんだよ、という一面だけは、「今の若い子」も「昔若かった子」も変わりないのではないかな、と、お母さんと生前に葬式の話をしようか、と持ちかけられた主人公の叫びを読んでて、思ったりもしました。あの一文、秀逸。とても必要。
赤ちゃんがいい例だけれど、赤ちゃんは別に感情が未発達なわけじゃなくて、何かを感じてもそれを表現する言語が未発達なだけですよね。泣くことで表現してる。
大人から見た未成年も同じで、表現方法は違えども痛みを痛みとして感じる気持ちは同じ人間である以上そう大差なく、要するにそれをどういう「深さ」で捉えられるかという尺度の問題なんだな、きっと。浅くしか感じられない人はそういった価値観が形成されてしまっているから、深く感じられる人から見たら「なんて鈍感で浅はかなんだろう!」と思えるかもしれないけれど、別の一面でひょっとしたら逆の感想を相手から抱かれている可能性も、当然ある。一人称では難しいけれど、主人公固定視点の小説を読むときに、そういった他者の可能性が垣間見える部分がちらほらあると、一気に物語も深みを増して読み応えがありますよね。

このひとの小説をこれで三作連続で読んでみたわけですが、計算しているのか力量の問題なのかわからないところがまだあって、これでこの作家さんの作品を今後全部読み続ける!とは言えないのですが、それでも面白い時間を過ごさせてもらいました。久々に読書したな!と思った。まあこんだけ読み続ければ当然か。笑。
このひとの作品の中では、今のところスロウハイツがやっぱり一番かなー。スロウハイツというか、もうあの最終章なんですが(しつこく言う)。ミッコのお勧めは正しかったよ、ありがとう!
こうして趣味趣向が判っている友人の感想が、一番把握しやすいというかわかりやすい指標になってくれます。レビュー読むの、好き好き。皆もっと読書感想文とか書いてくれたらいいよ(笑)!
Comment
≪この記事へのコメント≫
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
Secret: 管理者にだけ表示を許可する
 
Designed by aykm.