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ものぐさにっき。

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「三つ目~」原作読んだ~。
とってもピザが食べたくて、うっきうきと以前テレビでやってたお店へ行ってきました。
表の看板に本日のお品書きと一緒に一言。

「本日チーズ品切れのため、ドルチェのみの販売となります」

orz

ピザ屋あああああああぁっ!!
がっくり項垂れてすごすご帰りましたよ…。ピザ気分だったのに…。くどいものが食べたくて、思わずケーキ六個も買って帰っちゃった。(それ関係ない)
以前、焼肉屋に言ったときも、「本日カルビとタンは完売しました」と言われ、そのまま席を立ったタカヤマです。
仕入れとか、色々事情はわかるのですが、でもやっぱりそれを期待していったひとはがっくりとそのお店を見限ってしまうと思うのです…おおおミーだけか…?ワタシ飲食店にはサービス料込みでお会計を払ってると思っているからね…。
焼肉屋はそれ以降行ってないけれど、ピザ屋はリベンジしたい…だって美味しそうだったんだもん…。でもいつになるかな…。

三つ目がとおるの原作を漸く完読しましたー。なんだかずっと頭が痛かったのはテーマが重いからでしょうか…重いよね、あれ…。
以下ネタバレ感想でーす。
アニメとは展開は同じだったのですが、けれどやっぱりアニメは綺麗にメッセージ性を篭めて作ったといった感想。原作はひとは死ぬし、誰も正義なんて問うてないし、しゃらくくんも改心していないカンジです。でもそれのが終わり方としてはいいな。受け取る読者の捉え方次第という終わり方は、実力がある人が書けばとてもいい終わり方だと思う。
結構残酷な話とか差別的な表現とかは時代柄なんだと思います。それを抜きにしても思うのが、例えばモアの回でしゃらくくんは自分とモアを遺跡まで案内してくれたおじさんが殺されたときにはあっさり死んじゃったのか、と済ませます。けれどその後にペットとして可愛がってた鳥が死んだ回では見開きを使って号泣する様が描かれています。展開的にはそっちのほうが見せ場だから大げさなコマ割りはアリ。けれど、人間と動物でその扱いの違いは人道的にどうなんだろう、と思う人もいるだろうし、いやいや、これはしゃらくくん本人の心の、見ず知らずのおじさんよりも可愛がったペットの死を悲しむという至極人間的な感情として正しいのだと捉えるひともいる。なんの一文の説明も挟まないその表現、それは自由度が高いということだけれど、でも、誤解を恐れないというか、それすらも一つの感想として受け止める覚悟を持って筆を取っているところが、この作者さんのすごいなあと思うところなのです…今更かー。
というわけで、一つの話に対して色々と今の漫画よりも読み取ることが多すぎて、とてもとても疲れるし頭が重くなる作品でした…。
文庫版で読んだのですが、その何巻かの巻末解説に、「何度でも読み返せる作品」という言葉がありました。確かに。今は昔よりも作品のジャンルも数も桁違いに溢れていて色々なものを読める機会に恵まれているのだけれど、それでもその作品を何度もそれこそ本がボロボロになるほど世代を超えて読み返すことはあるだろうか、と考えたときに、それが適うのはとても稀少なことなのではないかと作品の価値に気付くのです、という話。
漫画に限らずお話というのが人の目に触れるところに出たときに、その瞬間独り立ちを始めるのだとしたら、作者はその子がひとりで生きてゆけるだけのものを詰め込んで世の中に送り出してあげなくちゃいけない。絵が綺麗とか設定が凝っているとかそういうファクターが加算点を生む場合もあるでしょうが、それは目に見える要素に過ぎずに、あくまでお話とは”内容”に力がなくてはなあ…。
この作者さんのようにメッセージ性の強い作品は割りと読者も噛み砕いて受け取りやすい部類だと思いますが、例えばそれが恋愛漫画とかスポーツ漫画であっても、物語が始まって終わるまでに例え主人公がなんの成長をきたしていなくても、物語としてなんらかの結論を出していなくても、それでも伝えること・心に残ること・学べることの何かがあれば、その作品はこの世界に存在する価値というものがあるのではないかと思うのです。
けれど、その価値というものも、ワタシが今上に並べたような価値観が世界のすべてではないように(ワタシだってそんなことがすべてだなんて思ってはいないのですが念のため)、ひとによって千差万別に受け取り方感じ方は違うものです。恋愛に悩んでいる中学生がどこぞの少女マンガを読んでものすごく感動していても、それを読んだ40歳の主婦が絵も話もありきたりで詰まらないわあと思ったりするだろうし、サッカー漫画を読んでサッカー選手を目指した少年がいるとして、同じものを読んだプロサッカー選手がこんなこと実際にはありえないぞと鼻で笑うこともあるように、ひとが何に感動して何を面白いかと思うのかはその人の感受性次第。だから今もこれだけのお話がこの世界に溢れているのだなあと思うのです。

…って、あれ?何を言いたかったんだっけ?(本末転倒!)長い話を書いたら何を言いたかったのか忘れてしまった…。

えーと、一つの目安として、ものすごく判りやすいのが出版部数でしょうか(笑)。それが多いということはそれだけ読まれているということで、例えばそれが一巻を読んでつまんねーのと次の日古本屋に売った人がいたとしても、何これ最高ブラボー!と二巻以降も買い続ける人がいるからこそ巻数と比例して部数が伸びる。まあけしてそれだけではないのですが。ほら、映画のCMで「○万人が泣いた!」とかいうテロップが出るよりも、「○○万人に読まれた原作」という言葉のほうがなんとなくいいイメージなのと同じように…。
というわけで、これだけの世代を経てなおこうして作品が存在し続けている(絶版になることなくそれを知る人もいなくならない)この作者さんの作品というのは、やっぱり読むだけの価値がある本なのではないかと言うのを…言いたかったのかな?あれえ…?(おいおいおい)

アニメ版でしゃらくくんとわとさんのラブ!に嵌っていたのですが、原作のしゃらくくんはアニメ版以上に酷い男で記憶どおりでした。満足。そうそう、しゃらくくんはわとさんとか、ただの愛人の一人くらいにしか思っていなかったり彼女ぶってみたかったり母親として甘えていたりと、そういった思春期的な感情のないまぜになったその時々の気分で相手してたんだー。これもまた人間臭い話で、とてもいい描かれ方だと思います…。
ついでに、文庫版は全八巻で、折に触れて自然破壊とかその辺に触れていて、ラストのお話では「何万年後かに今の文明が遺跡となったとき、それを見た次の人類は今の我々の文明を”すばらしい”というだろうか”おろかだ”というだろうか」とかいう(うろ覚え~)一文が添えてあって、それは要するに今を生きる我々次第だよということを示した終わり方になっているのですが、収録順を確認すると、この後に4~5本の読みきり的なお話を書いて「三つ目が通る」の連載を終わっているみたい。その順番上の最終回のお話は、しゃらくくんもわとさんもいつもどおりの性格で、遺跡荒しだけはやめたものの、結局しゃらくくんは何も懲りていないというか魔界のプリンスと地位をまったく諦めてない様子。それもまたいい…お仕着せの善悪に嵌らないのが人間だし、しゃらくくんが人間であるという何よりの証拠みたいなカンジでいい…。
(そして要するに人間は馬鹿なほうが世界は平和だという発想も結論の一つであるのなら、第一話の脳みそトコロテン装置の話へと戻って、そこで第一話と最終回が帰結することに。おおおなんだか綺麗な輪だ…!結論の出ない問題の姿がこんなところにも現れているようなカンジで感動…!)

で、なんだかダラダラと書いたのですが、ようするに何が言いたかったか途中で忘れてしまったので(そしてなんだが長すぎて読み返す気力もない)、「三つ目がとおる」全巻読んだよ!とだけ総括として纏めておこう…一行で終わるじゃねえかオイ…。
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