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ものぐさにっき。

成分の99%は萌えで出来ております。
(無題)
なにから言えばいいのかな…

突然に友達を亡くして、なんだかぼーっと過ごしてしまっていました。
だめだめだ。
空元気も元気のうちとはよくいったもんだ。

しんどかろうが何だろうが、そろそろ甘ったれるのもいい加減にして、いきてる私は人生を再開せねばいかんと思うのです。














彼女は去年病気を患いました。良性で手術は成功して、五年以内に再発する確率は30%と言われていて。けれど、五年以内どころか、たったの数ヶ月で再発した。しかも今度は悪性だった。30%の中に引き当たって、あの子は死んだのか…。

息を引き取ったことは、明け方お父さんから連絡を貰いました。他の友達がわからないから、といわれ、近くの友達や遠くの友達や学校や諸々に連絡をとってあれこれしてるうちに、あっという間に時間が経った様な気がします。喪服を着て白百合の花束を買って、なんか凄く冷静に対応出来てると思っていたのに、とある友達が「喪服なんて着たくない。あの子が死んだなんて認めたくない」といって用意をしてくれている親御さんと喧嘩して泣きわめいてるのを聞いて、初めて涙が出ました。普段なら絶対に我侭言うなとか言って後ろ頭でも叩いてやってるのに、言葉も出なかった。
なんだ、冷静じゃなくて、事態についていけてなかったのか…ざまあないなあ。
それまでは、ちゃんと遺族の方にお悔やみの言葉を言って、とか泣き崩れる友達を慰めてあげないと、とかそういうことを考えていたのに、お通夜の前に静かに寝かせられたあの子に会わせてもらって、見苦しく無様に棺桶に縋って泣き喚いたのは私でした。
だって、なんだあの箱。
なんで、私のあの子があんな箱に詰められてこんな場所におかれなきゃならないんだ。
病気はあっという間に悪化したって聞いた。二ヶ月くらい前から手足が麻痺して、最後の一ヵ月半は腫瘍の影響で視力を失ってたって。皮膚が変色して顔も原型を留めてない位むくんで、最後は首からしか点滴を入れられなかった。抗癌剤は使わなくて、あの子は痛みでずっと泣き続けて、意識も記憶も曖昧になって子供返りしてたって。知らなかった。知らないでいてしまった。彼女からの最後のメールは二月だった。また入院をすることになってしまったけど、今度は過労だと思うって。
馬鹿だ。私は馬鹿だ。どうしてそれを信じたんだろう…私が返したメールはもう見られなかったのか…。

あの子と私は幼稚園から一緒でした。それが長いのか短いのか親しさを表すのか、時間の長さと関係の深さは必ずしも比例しないから判らないけど、ただ、私の人生の殆どに彼女がいて、彼女という存在があるのが当たり前だった。ていうか、当たり前という言葉も思いつかないくらいの存在だった。
記憶力は人並みでも昔のことからどんどん忘れていくものだけど、あの子は何故だか私のことをよく覚えていて、これが好きだったでしょう、とかあの時あんなことがあった、とか、こういうことされるのが嫌いだったのに今は違うの?とか嘘をつくときにこういう癖があるのよ、とかたまに言い出した。そのくせ自分のことは覚えてなくて、私のが覚えてるんだよな。お互いがお互いのことを覚えてるから、私たちは自分で自分の思い出を覚えておく必要がなかったのかな。私はあの子と一緒に自分の思い出も亡くしたのか…。

私はあんまりあの子を甘やかした覚えがない。人を気遣うことなんて知らない、我を通すことしか考えられなかったような小さい頃から一緒に育ってきたからかもしんないけど、あの子がバカなことを(彼女は学力はあったくせに、何とかと天才は紙一重というか、常識や人間の機微に疎かった)言い出せばお前はアホかと殴ったし、そんなことを当たり前だと思うなと自分で考える頭を持てと突き放したしもし、彼女も頑固で言い返すから喧嘩して泣かせたこともあったかな。いつだったか、何年か前にその昔の話を感謝されたことがあった。社会に出て学生時代とは違う人間関係を築いて色んな人をみて、自分は凄く友達に恵まれていたことを知ったとかなんとか。やっと思春期を脱したのかとそのときは呆れたんだっけ。付き合いの長い別の友達と、うちんたはあの子のおかんか、と笑って。
あの子を甘やかしはしなかったけれど、あの子があの小さいからだでしんどいのは嫌だった。体力も生命力も乏しかったあの子の出来ないことを手助けするのは当然だと思っていたし、何よりあの子が痛みで泣くのを見てるしかないくらいなら、その痛みを引き取ってやったほうがマシだ。
あの子は少しの痛みでわあわあ泣く子だったのに、それでも頑張って病気を耐えたのか。頑張ったなあ。頑張ったなあお前…。私が褒めても、気色の悪いことを言うなと返って引かれそうだけど。

結局私は、あの子を褒めることも別れを告げることも出来ずに、ただただぐちゃぐちゃに泣き崩れていただけなのですが。(今になって思うけれど、もっと静かに泣けなかったのかと思う。映画みたいにさー)みっともなく、自分が慰めてもらう側になってしまいました。凄くいけないと思います…。
皆が付き合いの長さから、私が一番悲しいだろうと慰めてくれた。お通夜では「高山(私です)がそばにいてくれるから淋しくないよね」と声を掛けて帰っていく人もいた。(しかし皆北海道とか石川とか埼玉から仕事に都合をつけてよく帰ってこられたもんだよなあ)けれど私は、あの子が今一番そばにいて欲しい人を連れてこなきゃ、と焦っていた。もっと最後に会いたかった人がいただろうと思ってる。なのに私はそのために一歩も動くことが出来ずにお通夜も告別式も焼き場でまであの子の棺桶に縋り続け周りの人に慰められ、遺族の方に「あの子もその方が喜ぶと思うから」と言われ、冷たい小さな壷にあの子の骨を詰める役までしてしまった。とんだ傲慢さだと思う。もしくは勘違い甚だしいと思ってる。身をひいて親族の方に対して礼儀を弁えるべき立場なのに、自分の悲しみで手一杯になって、あの子の髪の一筋が煙になってこの世から消える瞬間までそばにいたいと思ってしまった。そう、あの子が私にいて欲しいかはどうでもよかったんだよ、私が離れたくなかったんだよゴメンナサイ。各方面に申し訳ない…。そのくせ拾骨では骨を取り落としたりしちゃったんだよな…。とんでもないことだ…。あの子が痛い!といって騒ぎそうな気がしたけど、お前が泣かすから私の視界は全部涙で埋まって歪んでたんじゃと言い返したい。いつか言おう。

お通夜と告別式の間は遠くの来れない友達に頼まれた分も別れを告げなきゃと思っていたのですが、初七日法要の頃にはもういいやと諦めました…。無理に別れを言わなくてもいいかと開き直り。その辺の漫画の台詞じゃないけど、彼女は僕の心の中に生き続けているよ…とかとか(わあ)。
あの子が死んで、私はあの子と共にあるはずだった自分の未来と、あの子が覚えていてくれた過去の自分を喪ったわけだけど、あの子が存在した事実が消えるわけでも、明日からあの子の友達をやめなきゃいけないわけでもない。そう考えると私が失ったものは自分に関するものだけだ。なんだ、それならどうでもいいや…淋しいのも我慢するのも自分なら、まあいいや、と思えたわけです。あの子は痛みの中で死んでいって、私は生きているんだからそれくらいできるはずだしして当たり前だよな。
けれど、そうは思うのだけど、そう出来ると思っていたのだけれど、今日まで私は作り笑いも出来ずに、あの子がくれたメールを読み返してはもっとこうしてやればよかったとかお約束の悔恨に責められ、友達に電話して懺悔をしては傷を舐めあって過ごしてしまったわけです。全く情けない。

昨夜は漸くというか久々にしっかり眠れてあの子が死んでから初めて夢まで見た。その夢がまた、あの子の夢なら可愛げもあるのに、日記を更新する夢だった(苦笑)。そうだな、日記を書かないとな、と思って、これまた久々にパソ子を立ち上げたわけですが、日記を開いても暫くはなにを書いたらいいのか判らなかったですよ。あの子を知らない私の友達でこの日記を読んでくれてる人たちに、今の私を包み隠さず伝えられればこの日記の趣旨に適うのだけれど、うまく伝えられたか判らない…。後から読み返して、なにを言ってるんだ私はとすぐに消去して終わるかもしれない。そんな意味合いも込めての追記です。元気です生きてます明日からはちゃんとします。
あの子のいないこの人生に慣れるのに、まだちょっと戸惑いそうだけど。何せ三歳か四歳以来だ。大目に見て欲しいってなもんです(ほらまたすぐに甘ったれて!)。



後になって、通夜に来れなかった兵庫の友達からメールが来た。
昔からね、あの子ったら、口を開けば君のことばかり話していたんだよ、と言われた。
…ああ、無様な生き様は晒せないなあ。
2006/05/01(月) 00:35:10 | 未分類 | Trackback(-) Comment(-)
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