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ものぐさにっき。

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クラシックカーと老人
クラシックカーと老人の映画、見に行ってきました。前評判がしずか~に高かった(?)のと、監督がいーすとうっどだったので見ておこうかなぁと。
「取り替えられた子供」ほど派手に宣伝してないよなーとは思いましたが、その理由は映画を観て判りました。
以下、クラシックカーネタバレ感想です。
映画には色々なジャンル分けが存在し、更にその中で内容が重厚だとか社会派だとか様々あると思いますが、も、この映画、一言で言うならば 重 い … です。
重い。重すぎる。
重さにもまた色々とあるのですが、とりあえずあらすじ。

自分の子供たちからも敬遠されるような昔堅気の軍人上がりの老人が、夫人の死によって一人暮らしになります。
近所はいつの間にか中東系移民ばかりでご近所づきあいもなく(というか主人公もポーランド系アメリカ人なんですが)、趣味と言えば朝鮮戦争後長年努めたフォードの修理工としての車弄り。七十年代のクラシックカー(この車名が映画のタイトルになっています)はマニア垂涎の一品で、後は定期的な芝生狩りが老人の日課です。
そんな老人の隣家に引っ越してきた移民家族。(タイだかミャンマーだかの山岳民族)祖母・母・姉・弟の四人家族ですが、女系家族に押されて弟はちょっと気弱でイジメにあっても黙って耐えるタイプ。(正確な年齢は出てこなかったけれど、多分ハイティーンくらい)
その姉弟にはチンピラの従兄弟がいて、その従兄弟が自分の組(チーム)の使いっぱしりとして弟を引き入れようとし、弟は逃げ出せずに嫌々お隣の老人のクラシックカーを盗んでくるよう言いつけられます。
けれど、結果から言えばそれは失敗。
弱虫の弟は従兄弟たちから制裁を受けそうになりますが、ひょんなことにそれを助けてくれたのが車を盗もうとしたお隣の老人でした。
老人は別に親切でもなんでもなく、その若者たちが騒いでいたのがお隣の玄関先で、暴れて自分ちの庭にまで入り込んできたので追っ払っただけなのですが、民族(一族)思考の強い民族だった近隣の人々より一族の末弟を助けてもらったことを深く感謝され、ばつの悪い思いをすることに。
さらには後日たちの悪い男たちに絡まれていた隣家の姉をも偶然助けたことにより、一層隣家の家族とかかわってゆくことになります。
初めは一族のお礼も親切もすべて拒否していた偏屈老人ですが、「車を盗もうとしたお詫びに奉仕活動がしたい」と申し出た隣家の弟と接しているうちに、孫のような息子のような気持ちが芽生え、元来の性格も影響して移住してきたばかりで引き篭もりがちな隣家の弟を根気強く修理工としての腕前を指導し、女性の誘い方、男友達との付き合い方などを教え、さらには就職先も斡旋してやり、二人(姉弟)と老人は年齢を超えた友人となりました。

けれど、そんな老人をある日病魔が蝕みます。(正確な病名とか余命とか一切出てこなかったのですが、繰り返し吐血してたので多分もう入院や手術をしても助からない癌とかじゃないかなと想像)
また、新たな生活を手に入れたかに見えた隣家にも、チンピラの従兄弟らの手は伸びていました。
仕事帰りを狙って隣家の弟が従兄弟らに暴行され仕事道具も壊されたことを知った老人は、自宅の銃を隣家にちょっかいを出すチンピラの一人に突きつけて、「これ以上あの子たちに関わったら容赦しないぞ」と警告しますが、それが火に油を注ぐ結果となり、今度は隣家がチンピラ集団から銃撃を受け、さらには姉が攫われ酷い暴力を受けた上に男たちに暴行され入院。
気弱だった弟もついにこの事態にキレ、従兄弟らを殺してやると叫びますが、自分が余計な口出しをしたことで悪化した隣家の環境に老人は一人悩みます。
「復讐はする。けれど、それには冷静さと計画が必要だ」
老人は今にも老人の銃を掴んで飛び出してゆきそうな弟をそういって宥めながらも自宅の地下室に閉じ込め、「これは一人でやる」と、チンピラたちのアジトに落とし前をつけるためにひとりで向かいます。
姉への報復の復讐へ向かったと思われた老人はけれど、丸腰でした。
住宅街でチンピラたちをさんざ挑発し相手らに撃たせ、雨のような銃撃で死んだ老人。近所の目撃者も多かったことからチンピラ一味は全員検挙。老人が丸腰であったことから、長期刑は免れない状況。
偏屈な老人はそう、復讐として相手を殺すことでもこのまま逃げることでもなく、己の命と引き換えに誰も殺すことなくこの一連の騒動に決着を着ける道を選んだのでした。
老人の死後、その遺書によって自宅は教会に寄付され、疎遠だった実の子供たちの欲しがっていたクラシックカーは隣家の弟に譲られたのでした。

…えっと、まず先に当たり障りのない感想から。この老人がとても可愛いです。
偏屈なんだけれど、別に友達がいないわけでもなんでもなく、妻を愛し誠実でユーモアもあり友達もいる。けれど、今の若い子たちの乱れた風紀や異なる人種がちょっと受け入れられない頭の固いところがあります。
なので子供や孫たちとの仲もまったく上手くいっておらず、妻を亡くしたあとに偏屈な老人の面倒をみることを厭って老人ホームに入れられそうになったのを怒鳴り散らして追い返した後はまったくの無縁状態。病気が発覚したときは流石に気弱になって連絡をしましたが、いざ自分から子供を頼るようなことを言い出すことも出来ず、また息子らのほうも今更父に愛想よくできるわけもなく、結局病気のことは打ち明けないままに。
生前敬虔なカトリック信者だった妻が自分の死後の夫を心配して神父さんにどうか夫を見守って欲しい、と願い出ていたため、近所の教会の神父さんが要所要所で尋ねにゆきますが、信者でもなんでもない老人はけんもほろろに追い返すばかり。そんな彼が初めて地道な神父を受け入れたのは、隣家の姉が入院して最悪な事態になったときでした。
そして、犯人一味のアジトへ向かう前に初めて神父に告白した老人の懺悔は三つ。
一つ、妻に内緒で知人の女性とキスをしたこと。
一つ、一度だけ数万程度の税金を申告しなかったこと。
一つ、自分の性格がもとで息子たちへの接し方が判らなかったこと。
依怙地なくらい教会を嫌って懺悔もしにこなかった老人の人生たった三つだけの後悔がこれって、冗談かと思うくらいちょっと可愛いんですけど。

けれどこの老人、可愛いだけではございません。
朝鮮戦争で何人もの敵兵を殺し、戦地でひとりだけ生き残った経験もあり、勲章も持っています。
ひとの生き死にを知っているからこそ、神父の差し出す救済にも初めはまったく関心を示さない老人でしたが、彼がそれをどう思っていたかというのは自分が復讐へ向かうと言い張る弟を地下室に閉じ込めて自分が片をつける、と言い合ったときに初めて明かされます。
ひとを殺すということ。老人は戦地で弟くらいの少年兵さえ殺しました。自分を守るために殺すのではなく、殺すことが必要だったから殺した。それが戦争です。
けれど、老人は今でも銃剣で殺した人の感触を覚えているといいました。人殺しは英雄でもなんでもない。何かを守ることは人を殺して成すことではない。老人はまさにそれを体現すべく、チンピラを挑発してわざと目撃者の前で自分を殺させ、全員を逮捕させることで隣家の家族を守ったのでした。

老人がどうして隣家のためにそこまでしたのか。自分の家族でもない、さらには毛嫌いしていた移民たちのために。
それは老人が自分の息子たちとの関係を上手く築けなかったことに対する代理愛のようなものだったかもしれないし、少しでも関わりを持ってしまったからには最後まで面倒を見ずには逃げられない昔かたぎの老人の矜持だったのかもしれません。
男たちはすでに婦女暴行の容疑で警察にマークされてはいたけれど、全員黙秘を続けているし言い方は悪いけれど婦女暴行では長期刑は望めない。そして一人でも残れば、また隣家の不幸は続く。
それを断ち切るために余命幾許もない自分にできることを、数日老人は考えに考え、その上での行動だったのだと思います。

あと、隣家の姉弟がとてもチャーミングで善良だったのもまた悲劇性を深くしています。姉は気弱な弟を守るように気が強くて、けれどとても可愛らしい女性で老人と並んでいる姿は年の離れたカップルでもいいような仲睦まじさでした。
弟も引き篭もりくらい初めは気弱だけれど、それは移住してきたばかりで環境変化に戸惑いが大きく、また元来人との争いを避ける性格だったようです。
善良なんだ。老人も含め、善良なんだ。ただ、従兄弟がチンピラ一味だったがためにこんな不幸が。

そう、この映画を観て廻りの人とかすすり泣く声も聞こえたのですが、ワタシが泣けなかったのも感動ともちょっと程遠い気分になってしまったのも全部、この理不尽な暴力があからさまだったからだと思います。
特に姉への容赦ない暴力が不快すぎたのが、その後もすごく引き摺る。だって女の子への暴力は、女性陪審員一億人中一億人が全員容赦なく死刑判決を出すよ。
けれど、これが映画の舞台になった土地での日常というか起こりえる事態であり、けして映画の中だけの作り事じゃない現実がそこにはあるのだということを訴えていることは理解しているつもりです。
「取り替えられた子供」でも思ったけれど、このひとは容赦なくこういう描写をしますよね。撮影技術、役者の技量、そんな質の面だけでいえば間違いなく上質の映画といえますが、やっぱり手放しで賞賛することが出来ないのは、映画が見るひとの感情に訴える映像作品であるからだと思います。
例えば異文化とか世界のどこかにある現実とか自分の知らない世界とか、色々なことを外国映画やドキュメンタリーで我々日本人は接する機会を与えられているわけですが、そこから何かを学ぶのであればワタシはショーシャンクやライフイズビューティフルとかそっちのほうがいい。なんならスーパーライズミーでもいい。
クドカンの映画を観て馬鹿笑いしたり、マンマミーアを見て楽しく浮かれた気分を分けてもらったりすることの合間にたま~にちゃんと考えさせられる映画を観ることもまた必要だとは思うけれど、必要だって判っていてもこういう映画を観てしまうとすごく落ち込んだ気分になって中々忘れることができません。

この映画が質的に悪くはないことだけは確かです。脚本も映画としての出来上がりも。
けれど、内容によってこうして凹んだ気分になっている自分がいるのも本当なので、どうしてももやもやした気分になってしまいます。駄作じゃないんだ。駄作じゃないけれど、打ちのめされる。悲しい。凹む。楽しい気分になれない。
そう、楽しい気分になれない。
映画をみるために何が大事かって、要するにそうか、ワタシは馬鹿笑いをして楽しい気分になって時に心から清々しく感動したいから映画を観るのか、と改めて考えさせられました。
良作だから、評価がいいから、傑作だから見るのではなく、自分に合った映画で楽しい気分を貰いたいから映画を観るのだと今更ながらに知った気分です。
ひとによって不快に感じることは様々で、その様々の中でも大なり小なりあるわけですが、ワタシが引っかかった部分がその「小」に当たる方ならば、その先にある老人の生き死にからまた違った感動を得られる映画ではないかとも思います。
つくづく、人の感想って千差万別だよね、と思ったりする今日この頃。だからワタシはどらえもん映画とかも好きなんだ。
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