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ものぐさにっき。

成分の99%は萌えで出来ております。
信心
天使にラブソングを、の地上波放映の録画を見ながら(もう何十回目)、信仰について考える。
折りも昨日、自動車祓いに行って雰囲気が違うなと思ったので何もせずお参りだけして帰ってきたわけですが、こういうとき信仰心て何なんだろうな、と思います。
例えば、どの宗教でもそうだけれど、真面目に信じて地道にお布施を支払っていればそれで救われるわけではけしてありません。(あっ、タカヤマさん、言葉に気をつけて)
実際ワタシは去年も自動車祓いとついでに自分の厄払いもしておきましたが、車擦ったしね。
けれどどうして今年もやろうと思うのかといえば、それは「安心感」を買うためかもしれません。
何か厄災に見舞われても(それこそ車を擦っても)「厄払いしてたからこの程度で済んだんだ」と思うか、「厄払いしたのにご利益なかった」と取るかはその人次第で、前者の考え方のほうが人にとって救済となるからこそ、こういった信心は長く引き継がれてゆくのではないでしょうか。
一年何も大事がなかったら「厄払いしといてよかった!」と思えるわけですし、人間の一年の中で細かい事件やそれこそ落ち込むことや不運なことは数え切れないほどあるだろうけれど、一年が終わったときに大病せず家族も幸せで帰る家もある、なんて状態であれば、不幸を回避するために厄払いをした人なんていうのは納得できてしまうものなのではないかしら。どうかしら。

天使に~で出てきた宗教は外国のメジャーすぎる宗教ですが、信心してる人は本当にそれで救いと安寧がもたらされると思っていて、事実心の拠り所を得ている人もいるわけです。
そういうひとを見て羨ましいと思えるのは、自分が今満たされていないからでしょうか。
少なくとも、ここでお願いして本当によかった!と思えるような厄払い(自動車含む)をしてくれる神社(お寺)に一目惚れしてみたい。つまりは今年も積極的にお寺巡りをしてゆきたい。
でもやっぱり、地元でのんびりほんわか出来るお寺も見つけておきたいなー。(本当に地元の鎮守の神社は石段が心臓破りすぎて、もう到底辿り着けない)(そりゃないよ氏神様…!)
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